日々、口にしている食材にまつわる「おいしい話」「耳よりな話」を目ききに教わる「食の目ききの知恵袋」。今回は、食肉卸の会社を率いる肉の目ききに、日本人が愛する「牛肉」についてお話をうかがいました。いまや日本を代表する食材となった「黒毛和牛」の秘密とは?
業務用の総合食肉卸会社「前田商店」代表取締役。当初は工学設計の道に進むも、長年バイヤーとして活躍していた父の後を追って食肉卸の世界へ。大手の仲卸業者で経験を積んで、知識だけでなく食肉加工の技術も身につけ、父とともに独立。ジャンルを問わず、どんな飲食店とも二人三脚で肉と向き合う姿勢で厚い信頼を得る。 https://www.maeda-shouten.co.jp/
ご存じのとおり、もともと日本では牛肉を食べる習慣はありませんでした。しかし、明治以降に欧米の影響を受けて牛を食べるようになり、いまでは「和牛」は世界的にも高級肉として知られています。国内でも、どんどん新しい部位や食べ方が注目され、いろいろな専門店も登場して、牛肉という食材は一体どこまで追求されるんだろう、と感心すら覚えます。
ランプとイチボに違いはあるのか?
牛肉と言えば、やはり焼肉。おとなりの韓国から入ってきた当初は、「カルビ」や「ロース」といった部位が主に提供されていましたが、20年くらい前から、さらにいろいろな部位が食べられるようになり、その分類もどんどん細かくなっていきました。
なかでも人気になったのが「ランプ」や「イチボ」、あるいは「トモサンカク」といったもの。どれもモモ肉の一部分で、「ランプ」はさすがにサシの量が違いますが、たとえば「イチボ」と「トモサンカク」ではそれほど違いはないようにも思います(「全然違う!」とおっしゃる方もいらっしゃるでしょうが)。それよりも、物珍しさであったり、「希少部位」といった言葉に惹かれて人気が出たのではないかな、と個人的には見ています。
というのも、そうした流れが最近また変わってきているように感じるからです。取引先の飲食店からの注文を見ていても、従来どおりの「カルビ」や「ロース」の人気が復活してきているようで、今後は、こだわり派とそうでもない派に分かれていくのかもしれません。
それにしても、なぜ牛肉は、こんなにも部位にこだわるのか。その理由のひとつは、豚肉や鶏肉と違って、牛肉の場合はほとんど品種が同じだからではないかと思っています。豚肉や鶏肉でこだわりを発揮しようと思えば、まずは品種を珍しいものに変えます。でも牛肉の場合、「和牛」の9割以上はたったひとつの品種なのです。
和牛の90%が「黒毛」な理由
そもそも「和牛」というのは、日本固有の肉用種として認められた品種のことを言います。なかでも代表的なのが「黒毛和種」(いわゆる「黒毛和牛」)で、国内で飼育されている和牛の実に90%以上を占めています。古くから日本にいた在来種と外国種を交配させて、明治時代に改良されました。
この他に、熊本や高知で飼育されている「褐毛和種」(通称「赤牛」)、岩手など東北で生産されている「日本短角種」(いわゆる「短角牛」)、それに、山口で生産される「無角和種」の3種があり、これら計4品種だけが「和牛」を名乗ることができます(これらを交配した交雑種も含まれます)。
ただ、黒毛和種を除く3種は、そのほとんどが地元で消費されてしまうため、東京をはじめとして全国に出回っている和牛の98%は黒毛和種(黒毛和牛)と言っていいでしょう。
これに対して「国産牛」というのは、品種に関係なく、一定期間以上を日本で育てられた牛のことを言います。したがって、外国生まれで子牛のときに日本にやってきた牛でも、「国産牛」というラベルが付けられます。また、乳牛である「ホルスタイン」などと和牛(主に「黒毛和種」)を掛け合わせた交雑種も、「F1」と呼ばれる肉用種になります。
豚肉の場合、ヨークシャーやバークシャー(黒豚)といった純粋品種もありますが、それらを掛け合わせることで新たな豚が生み出されています。そうした新たな品種改良なく、「黒毛和種」がこれほど全国に広まったのは、繁殖のしやすさなども影響しているのかもしれませんが、やはり、それだけ味が良く、高品質な肉が取れるからなのでしょう。
オスのいない牛肉の世界
意外と知られていないのが、「牛肉にはオスが存在しない」ということです。なぜかと言えば、オスの大半は生まれて数か月で去勢されてしまうから。これは、オスの場合、そのままではどんどん筋肉がついて肉質が固くなってしまうため、去勢することでホルモンのバランスを整えて、なるべく柔らかい肉を維持しようとするわけです。
それでも当然メスと同じになるわけではないので、メス牛か去勢牛かも、肉屋や飲食店がこだわるポイントのひとつです。希少部位をアピールするのと同じように、メスしか扱わないことは他との差別化にもなります。ただ……これも部位の話と同じですが、メス牛と去勢牛の同じ部位を出されて違いがわかるかと言われれば、おそらくわからないだろうと思います。
それでも、私が以前ある飲食店に、すき焼き用の肉を、それまでの去勢牛からメス牛に切り替えるように勧めてみたところ、「注文数は変わらなかったけれど、おかわりが増えた」という話を教えてくれました。味そのものはほとんど変わらなくても、やはりメスのほうが脂があっさりしているからか、去勢牛よりもたくさん食べられるのではないでしょうか。
ちなみに、牛は生後8〜10か月まで繁殖農家のもとで育てられたのち、競りにかけられて、今度は肥育農家のもとで肉牛として育てられます。そして、月齢30か月を目安として出荷されるのですが、この約20か月の肥育期間をどこで過ごすか(どの地域で育てられるか)によって、その後、「松阪牛」「神戸牛」といったブランド牛になったりもするのです(実際には、銘柄ごとに地域以外にも細かい条件があります)。
ノーブランドでもノープロブレム
最近の赤身や熟成肉のブームなどを見ても、牛肉へのこだわりは、文字どおり尽きることがないのではないかと思います。でも、だからこそ、私たちのような卸はこだわりを持たないほうがいいと考えています。
その代わり、どんなニッチな要望が来てもちゃんと対応できるようにする、新しいものに抵抗感を持たないようにする、といった姿勢を大切にして、こだわり派の飲食店も、そうでもない派の飲食店も、同じように裏から支えられればいいなと思います。そうやって人と一緒に何かを築いていくことこそが、卸という業種のいちばんの醍醐味でもあるのです。
一般のご家庭で牛肉を食べるときも、無理して高級ブランド牛を買うより、ブランド名は付いていなくても「和牛」と書かれているものを選んでいただければ、少なくとも牛としては同じです。肉は、野菜や魚と違って生で食べることが(ほぼ)ないため、お手頃なものをうまく使って、いろいろな料理に挑戦していただけるといいのではないでしょうか。
文・構成/ドイエツコ