パリの”食”に関する話題を、パリ在住の日本人シェフによるリレー形式でお届けする「日本人シェフのてまひまパリだより」。今回は「Accents Table Bourse」オーナー兼シェフ・パティシエールの杉山あゆみさんの後篇をお届けします。パリでの奮闘の日々、そしてお店のオーナーとなるまでの道のりを、ぜひご堪能下さい。
こんにちは。パリ2区の「Accents Table Bourse(アクソン ターブル ブルス)」オーナー兼シェフ・パティシエールの杉山あゆみです。後編では、いよいよパリで本格的に働き始めてからの道のりを振り返りたいと思います。
手ごたえはあるけれどこのままでいいのか、悩む日々
ビザが切れて帰国してから、1年と経たずにフランスに戻って来た私。ご縁があって、「ステラ マリス」のシェフ・パティシエールが声をかけてくださり、そこで働くことになりました。働き出してから吉野建さんが非常に著名なシェフだと悟るくらい、当時はお菓子のことしか知らなかったです。この店で知り合った現「Will」の大草真シェフや「Le 6 Paul Bert」の上村英夫シェフ、「Masha」の松本崇広シェフ、「MAISON」の渥美創太シェフなど、パリを中心に活躍しているシェフたちとはいまも仲よくしています。
次に働いたのは、5区の「ル・トリュフィエール」というレストランです。2カ月間の試用期間を経て、この店が就労ビザを取ってくれました。非常に居心地の良い職場で、結局4年間働きました。そんな折、当時、交際していた彼がフランス南西部にあるポーにシェフとして赴任することになり、それを機に結婚することに。ポーではそれこそ料理、デセールだけでなく、皿洗いまで本当に夫婦ふたりのみで働きました。レストランの少ない地域で連日満席、毎日、自分たちが考えたものを出し、お客様に喜ばれていました。
23歳で「トロワグロ」のシェフソムリエになった人がオーナーで、店では自然派ワインを専門に出していました。当時、自分はそこまでワインに詳しくなかったので勉強にもなりましたが、なにしろ30分くらいで回れてしまう小さい街で、車も持っていない。厨房の器具も揃っていないし、いい意味でのライバルもいない。仕事の手応えはありましたが、向上していく気がしないというジレンマがありました。まだ若いので、もう少し揉まれた方がよいのではないかとも思ったし、1日中ふたり一緒にいるので夫婦としても難しいし、パリに戻ることを考えるようになりました。そんな話になった時、前にいたル・トリュフィエールが声をかけてくれたのです。
もともと波長の合ったこの店に戻り、結局7年働きました。今のお店の出資者との出会いも、このレストランです。お客様としていらして、美味しいと非常に喜んでくださり、「あなたがたの好きなお店を出してほしい」と提案してくださったのです。2年くらいかけて話し合いをする中で、息の合うシェフを誘ったところ、意気投合。共同経営とし、このシェフをオーナーシェフ、私はシェフ・パティシエールでレストランをつくると決め、準備を進めていきました。
オーナーとして、なんでもコントロールしすぎない
こうして、2016年の12月に晴れて「Accents Table Bourse」をオープンしました。初めは知り合いがたくさん来てくれたのでよかったのですが、しばらくすると、なかなかお客様の入らない日が続くようになりました。そのうち、オーナーだったシェフとの関係があまりうまくいかなくなり、ついにはシェフが店に来なくなる事態に陥りました。現シェフであるロマン・マエは当時、スーシェフだったのですが、シェフ不在の間、ひとりで頑張ってくれました。レストランはやはり料理が主軸なので、シェフを立てなければならない。そこですべてをロマンに説明して、私はオーナー兼シェフ・パティシエールとしてやっていくので、シェフになってくれないかとお願いしたのです。
当時まだ若かった彼の返事は、考えさせてくれと言うものでした。それでも2日後に、これもチャンスだと思うので引き受けると言ってくれ、本当に救われた思いでした。現支配人・シェフソムリエであるエティエンヌ・ビヤールも、もともとロマンと同じ店から来たのですが、ふたりがいたからこそ、この店の今があるのです。ミシュランの1つ星も、ロマンのおかげ、エティエンヌのサービスのおかげ。本当に恵まれています。
私は経営においても陰にいればよいと思っていたし、開店当初はオーナーになるつもりもなかったのに、こういう流れになってしまいました。他のオーナーシェフたちを見ると、基本は料理をメインで見つつも、ワインも好きでよく知っていたり、店全体のこともしっかり把握している。私はといえば、基本、デセールのことしかわかっていなかった人間がオーナーですから大変です。でも私は、それぞれプロフェッショナルに任せた方が上手くいくと割り切っています。オーナーとしてなんでもコントロールしようとせず、あまり首を突っ込まずに、いい意味で手を抜くということです。ポイントは抑えますが、基本は信頼して任せています。このやり方以外、私にはできないから……。
完璧に再現できなくても、料理は人それぞれでOK
フランスでも私のレシピを雑誌でご紹介いただくことがよくあるのですが、なぜだか必ずといっていいほど、「本当にこの通りできるの?」なんて訊かれるんです。同じ完成度で再現できるのかということでしょうが、私は「正しく」できなくてもいいと思っているんです。私と同じようにできないことで、逆においしいものがつくれる可能性もあるわけでしょう? 料理って人それぞれ違っていいと思うし、それはそれでいいこと。日々変わっていっていいものだと思います。自分のレストランでも、同じメニューでも次の日になったら「これ足してみようか」などと毎日変わるし、それが料理だと思っています。おいしければよいので。やっている方も人間なので、飽きたりもします。そのつど、アイデアが出たら足していけばいいのだし。
もともと甘いものは得意ではない私が作る甘さ控えめのデセールと、料理にフルーツを使うことしばしばな甘党のロマンの料理が、うまく調和していると言われます。お客様にも「料理とデセールがつながっている」というような表現をいただくことが多くて、嬉しいです。デザートがよければ、食事はいい感じに終わるじゃないですか。やりがいがあります。「終わりよければすべてよし」、ですよね。私の好きな言葉です。(杉山シェフ・パティシエール篇・終)
杉山さん(右)の手がけた品々。左から:「飴ボール、赤い実のフルーツ、ビーツ」「ブラックチョコ、カリン、コーヒー」。
記事冒頭の料理は「タピオカと根セロリと青リンゴのリゾット」。 ●ACCENTS table Bourse https://accents-restaurant.com
写真提供/杉山あゆみ 取材/シフォロ光子(パソナ農援隊パリ支店)