パリの”食”に関する話題を、パリ在住の日本人シェフによるリレー形式でお届けする「日本人シェフのてまひまパリだより」。4人めとして登場するのは、「Accents Table Bourse(アクソン ターブル ブルス)」オーナー兼シェフ・パティシエールの杉山あゆみさんです。静岡出身の杉山さんがパリに渡り、シェフ・パティシエールそしてオーナーも兼任するまでの道のりを、ぜひご堪能下さい。
てまひまオンライン読者のみなさま、こんにちは。パリ2区の「Accents Table Bourse」オーナー兼シェフ・パティシエールの杉山あゆみです。前編では、静岡で育った私がいかにお菓子の世界に魅せられていったのか、お話ししたいと思います。
本当は甘党ではないのだけれど……
両親とも静岡出身で、私も静岡で育ちました。4つ上の兄との2人きょうだいです。ずっと鍵っ子で、母も夜勤が週に3日ほどあったので、特に頼まれたわけではなかったけれど、自然と料理を自分でつくるようになりました。でも、母がお菓子などまったくつくるタイプの人ではなかったせいか、私はお菓子をあまり食べる機会がなくて、子ども時代はショートケーキも1個は食べきれないくらい、甘いものが苦手でした。実はいまも、甘党ではないままです。
けれど、ケーキの世界は見た目が可愛いし綺麗なので、そこが好きで惹かれていったのだと思います。幼稚園生の時にはもう、将来はパン屋かケーキ屋さんになろうと決めていました。ケーキ屋さんを見ていると、来るお客さんがケーキの並ぶショーケースを見ながら、みんな嬉しそうな顔をしている。大切な人の誕生日とか、自分のためとか、誰かのことを思ってニコニコしている。私も誰かをニコニコさせるような仕事をしたいと思って、ケーキ屋さんになろうと思いを定めました。
昔ながらの製菓道具が、感覚を磨いてくれた
高校卒業とともに静岡を離れ、東京にある製菓の専門学校「エコール 辻 東京」に通い始めました。そのまま東京で働いてみたかったのですが、就職がうまくいかず、静岡に戻りました。清水市にある「ラ・ローザンヌ」というお店にご縁をいただいたのですが、ここで働けたことは、いま振り返ると私にとって本当によかったと思います。お父様の代まで和菓子屋さんだったお店を、息子さんが洋菓子屋さんになさったのですが、使っている道具がすべて昔ながらのものでした。窯(オーブン)しかり、秤も錘を載せるタイプで、デジタルなスケールなどありません。
こういう道具を毎日使っていると、人間って、だんだん敏感になってくるものです。勘が発達してくるというか、目分量で合わせることができるようになってきました。加えて、「訊く」のではなく「見て覚える」ようにもなります。ずいぶんと鍛えられました。ある時、私がフランスの伝統菓子「サントノーレ」という、土台のパイ生地にクリームと小さなシュー生地をあしらったケーキを作っていた時のことです。サントノーレは通常、シューの縁に飴を付けていくのですが、シェフから「飴は付けないで」と言われたのです。なぜかは教えてもらえない。でも「うちのお店は年輩のお客様が多いから」と言われて……ああ、なるほど、と思う、そんなことの連続でした。
その頃、4歳上の兄は建築の道に進んでおり、内装の勉強をしたいとイタリア・フィレンツェの学校に留学して、テーブルやランプづくりを学んでいました。私も清水のお店で働き始めて1年半ほど経った頃、やっぱりフランスに行きたいと思い始めました。退職する3か月前にシェフに決意を告げると、「出発前に全部、仕込んでやる」と言われ、焼き場、仕込み、デコレーション、生地づくり、すべてを特訓してくださいました。結局「ラ・ローザンヌ」には2年弱いましたが、今の私があるのは、ここのシェフのもとにいたからだと思っています。
働きながら必死に言葉を覚える
初めての渡仏は、21歳になってすぐのことでした。まずはパリの凱旋門近くの語学学校へ入学。ホームステイ先のアパルトマンに到着し、私と同年代の娘さんに「ボンジュール」と挨拶をしたのですが、それすらも通じていない模様で、愕然としました。語学学校も、英語で仏語を教えてくれるのですが、私は英語も苦手でよくわからない。これは働きながら仏語を覚えるしかないなと思い、「ここで働かせてください」というフレーズだけ覚えて、ケーキ屋やレストランを回りました。でも、うまくいかない。なんとか、とあるお店に「言葉はできなくてもいい」と言われてご縁をいただき働き始めたのですが、とにかく厳しいことで有名なシェフだったようで、フランス人でも1日で辞めてしまう人もいるようでした。とにかくここを乗り切ろうと頑張り、結局、4カ月間働きました。
次に働いたのは、マレ地区にある「パティスリー・ポミエ」。定年まぢかの男性が運営するお店で、「ラ・ローザンヌ」と同様のレトロな秤を使っていたので、これはいける!と思いました。1年くらいの間でしたが、フランスの伝統菓子をはじめ、いろいろやらせてもらうことができました。やがて、お店が閉まることになり、語学学校での勉強も終了し、ビザも切れるタイミングとなって、私はいったん帰国することになります。
帰国後、ワーキングホリデーを取得し資金を貯め、1年と経たずにフランスに戻ってきた私。後編では、いかに私がシェフ・パティシエールとなり、オーナーともなっていったかについて、お話しさせていただきますね。どうぞお楽しみに! (後編へ続く)
杉山さんの手がけた品々。左から:「牡蠣のグラニテ」「ヨーグルト、金柑、生姜」「フヌイユ(ウイキョウ)のタルトシトロン」。
●ACCENTS table Bourse https://accents-restaurant.com
写真提供/杉山あゆみ 取材/シフォロ光子(パソナ農援隊パリ支店)