「おいしい本、いただきます。」は、食にまつわるさまざまなウンチクや名場面がいっぱいの、眺めておいしい、読んでおいしい本を紹介する連載です。11回目に取り上げるのはカルミネ・アバーテによる『海と山のオムレツ』。
自然の恵みを
分かち合うことは、
命をつなぐこと。
『海と山のオムレツ』 カルミネ・アバーテ 著 関口英子 訳 新潮社 刊
ほんの少し前まで「ごはんしよ~」は、あなたと仲良くなりたい、という意味の合い言葉でした。それが、ここ1年で大きく変わってしまいました。コロナ禍で「食」のシーンに制限が課せられ、オンライン飲み会が生まれ、路上や公園でお弁当を広げたりビールを飲み交わすグループを見かけたり……。そうまでしても、誰かと一緒に食べたい。田や畑で穫れた米や野菜を、肉や魚を、誰かの手が作った料理を、誰かとともに分かち合いたい。そんな気持ちを軽んじるものではないなあ……そう、あらためて感じさせてくれたのが、この『海と山のオムレツ』でした。
イタリア・カラブリア州に暮らすアルバレシュの「僕」の幼少期、そして青年になり、ドイツ人女性と結婚、新しい家族を築くまでの物語。著者カルミネ・アバーテの自伝的な短編小説集です。カラブリア州は、イタリア半島の長靴のつま先あたり、海峡を隔てた向こうにシチリア島が位置します。アルバレシュとは500年以上昔、バルカン半島アルバニアからイタリアへわたって来た人々のことを指し、南イタリアには50ほどのアルバニア系イタリア人の共同体が点在するそうです。
「僕」の原風景ともいえる、アリーチェ岬で食べた、腸詰とオイル付けの鮪、赤玉葱の入った祖母の「海と山のオムレツ」。村の結婚式で、アルべリアのシェフがふるまった、白いんげん豆とオリーブオイル、大蒜と唐辛子、パプリカのソースを絡めたパスタ「シュトリーデラット」の大皿。母の得意料理である、豚の肉と肋骨の入ったトマトソースにミートボール、そこにジティ(マカロニ状のパスタ)を混ぜ合わせ、チーズをたっぷりまぶした「トゥマーツ・デルク」。どれも、なじみ深いイタリアンとは少し違っていて興味深く、その味を想像してみると、焼け付くような日差しに似た辛みや土臭さが浮かび上がります。
故郷を離れてドイツの大学で学び、職を得た「僕」は、北イタリアで恋人と暮らします。切ないほどに忘れられないのは、祖母や母、そしてアルべリアのシェフが作る故郷の料理です。そんな僕に、アルべリアのシェフは言います。「どこへ行っても、その土地特有の味というものがある。いくつもの異なる土地で暮らすうちに、きみの舌にはもの凄く豊かな味覚が養われるだろうよ。大切なのは、自分たちの土地の味に、新たな味を加えていくことだ」。この言葉は、人生そのもの。郷里を離れ、人と出会い、新しい何かを積み重ね、新しい形を築いてゆく。
時に、物語とは、ずっと心の奥深いところにまで届ける力があるものだなあと感じます。決して裕福とはいえない南イタリアの一家族の物語は、ドラマティックな展開もなく、読み手の心を傷つけたり悲しませたりすることもありません。ただただおいしそうな「食」のシーンが、人との絆、それこそが人生の宝物なのだと、私の心の奥底に確かに錨を下ろしてくれるようでした。
文・写真/天竺牡丹