パリだよりVol.5/「パヴィヨン・ルドワイヤン」廻神大地 准料理長(前編) 「フランス料理とアレノシェフと僕とを結ぶ道」

パリの”食”に関する話題を、パリ在住の日本人シェフによるリレー形式でお届けする「日本人シェフのてまひまパリだより」。3人めとして登場するのは、「パヴィヨン・ルドワイヤン」准料理長の廻神大地シェフです。フランス国内の店だけでミシュランの星を11個も持つカリスマシェフ、ヤニック・アレノの右腕として絶対的な信頼を寄せられている廻神シェフの歩んできた道のりを、ぜひご堪能下さい。

てまひまオンライン読者のみなさま、こんにちは。パリ8区の「パヴィヨン・ルドワイヤン」で准料理長を務める廻神大地(めぐりかみ・たいち)です。 前編では、僕が料理の道を志し、ヤニック・アレノと出会うまでの歩みをご紹介したいと思います。

きっかけは、祖母の料理

僕が学生の頃、漫画では『美味しんぼ』、テレビでは『料理の鉄人』が流行っていました。また、フレンチの巨匠ジョエル・ロブションの限定版の料理本が出版されたりと、日本はまさにガストロミーブームの真っただ中。僕も、家では昔からいろいろな料理を自分でも作っていましたが、それ以上のことではなかったんです。ただ、 数ある料理の中では、単純にフレンチが一番かっこいいと思っていました。

実は、高校時代はもっぱらアメフトに熱中していたんです。そして実家が、球場の歓声が聞こえてくるほど甲子園のすぐ近くだったこともあり、野球はもちろん阪神ファン。両親ともに教師で共働きだったため、近所に住んでいた料理好きの祖母の作るごはんを食べて育ちました。だから、祖母の影響はかなり受けていると思います。いま、自分のインスタグラムのアカウントでさまざまな家庭料理の写真を上げていますが、唐揚げのレシピなどは祖母から教えてもらったものです。

日本で就職せずに、フランスへ

1995年、大阪の2年制の料理専門学校の1学年目を終えた時に、フランスのブザンソンの近くの料理学校へ半年間、留学する機会がありました。古いお城を校舎に使っていて、印象的なところでした。厨房(料理)だけで3グループ、ほかにパティシエ、パン、サービス、フランス語など全部で8つのグループに生徒たちは分かれ、毎日ローテーションで回っていました。学校内の研修用レストランは昼夜営業なので、そこで実践の研修をしつつ、午後は講習を受けていました。この時代に、フランスの真の魅力を発見したと思います。

帰国して2学年目を終え卒業した後、日本で就職することなく再び96年に渡仏しましたが、そこからはフランス各地の星付きレストランを転々としました。 パリ近郊のガルシュ=マルヌ=ラ=コケットに始まり、次はMOF(フランス国家最優秀職人章)のシェフがいたヴィルヌーヴ=レザビニョンへ、その後はまたブザンソンの学校に帰って、ランスの3つ星「ボワイエ」、アルザスの3つ星「クロコディル」へ。そして、ムジェーブの3つ星「ラ・フェルム・ドゥ・モンペール」ではスターシェフ、マルク・ヴェイラの下でも研鑽を積みました。ブザンソンの学校に戻った際は教育者として料理を教え、併設されていたレストランではシェフ、フレデリック・メディックとともに1つ星を獲得しました。3つ星店ばかりを渡り歩いて来ましたが、マルク・ヴェイラ、エミール・ユングやMOFシェフたちのもとで研鑽を積めたことはよかったし、やはり影響を受けたと思います。

その後日本に戻り、2004年から12年まで大阪で4年、東京で4年働きました。通常だと日本である程度、料理人としての経験を積んでから渡仏するのかもしれませんが、見習いを日本ではなくフランスで開始したというのは、少し特殊かもしれませんね。

3度目の渡仏、ヤニック・アレノと出会う

日本で働いた後、再び渡仏。ラングドック地方でレストランのオープニングを手伝い、転機となったのが2013年です。サヴォワのスキーリゾート、クールシュヴェル1850にあるラグジュアリーホテル「シュヴァル・ブラン」内のレストラン「Le 1947」のオープン時に、ヤニック・アレノシェフの下で初めて働くことになりました。

アレノシェフはホテル・ムーリスを離れ、パリに店がなかった時期だったのですが、コンサルタントをされていたパリ16区の5つ星ホテル「モリトール・パリ・Mギャラリー」の立ち上げを手伝い、その後、歴史的レストランであるパヴィヨン・ルドワイヤンをアレノシェフが継ぐことになったので、ここでもオープニングから参加しました。ですので、アレノグループにお世話になっているのは13年からということになりますね。グループでは、3つ星店「アレノ・パリ」の立ち上げはもとより、「ラビス」(2つ星の寿司レストラン)、「パヴィヨン」(カウンター形式の1つ星のフュージョンレストラン)の立ち上げにも参加し、今に至っています。
 
彼の下で働くきっかけですが、実はトップレベルのレストラン何軒かに履歴書を送ったところ、一番先に返事をくれたのがアレノシェフだったのです。やはり3つ星シェフであるアンヌ・ソフィー・ピックからも1日違いでOKの返事が来たのですが、結局、断ることになりました。アレノシェフからは当初、ビストロ系レストランのポストをオファーされたのですが、ガストロノミーにしか興味がないからとお断りし、その間にピックシェフからもお声がかかったんです。でも、すぐにアレノシェフが「シュヴァル・ブラン」のポストが空いたと連絡をくれたので、彼の下で働くことになったのでした。

もともと僕は2つ星か3つ星しかターゲットにしていなかったのですが、さすがに候補となるレストラン全部を訪れて食べに行くことなどできません。ただ、それぞれの店の料理の写真をぱっと見た時に、 一番「食べたい、美味しそう!」と思ったのがアレノシェフの料理でした。美しい料理は他にもあったのですが、食欲を誘うというのとは少し違ったのです。というわけで、初めは働きたいという思いよりも、「こんなに綺麗で、しかもおいしそうな料理」への興味が勝ったとも言えるかもしれませんね。

こうして、僕はアレノシェフのもとで働くことになります。後編では、パヴィヨン・ルドワイヤンで僕がどんな仕事をしているかについて、お話しさせていただきますね。どうぞお楽しみに!(後編へ続く)

 廻神シェフの料理から、

「根セロリのジャンボン、
 ブロ ッシェのスモークキャビア、
 蕎麦のチュイール」。

●PAVILLON LEDOYEN https://www.yannick-alleno.com/fr

 

 

 

 

 

 

 

写真提供/廻神大地 取材/シフォロ光子(パソナ農援隊パリ支店