「おいしい本、いただきます。」は、食にまつわるさまざまなウンチクや名場面がいっぱいの、眺めておいしい、読んでおいしい本を紹介する連載です。7回目に取り上げるのは関田淳子による『ハプスブルク家の食卓』。
過酷な戦争と16度の出産を、
マリア・テレジアは
スタミナスープで乗り越えた?!
『ハプスブルク家の食卓』 関田淳子 著 集英社 刊
マリー・アントワネットにその母、マリア・テレジア、そしてシシーの愛称で知られるエリザベート。有名な王妃の存在で知られるハプスブルグ家ですが、ちょうど1年前に国立西洋美術館での『ハプスブルグ展』を観て、違う視点から、ハプスブルグ家を眺めたいと考えていました。約650年間の長きにわたってヨーロッパに君臨することを可能たらしめたのは、戦争をできるだけ回避した結婚政策だったことは肖像画を観て大きく頷きましたが、本書『ハプスブルグ家の食卓』を読むと、その歴史を裏側で支えてきたのが「食」だったとは! とても興味深いです。
スイス北東部の弱小の豪族だったハプスブルグ家。そこから、初代神聖ローマ帝国皇帝となったフリードリヒ三世の食生活は、実に質素だったようです。麦の粥にザワークラウト、蜂蜜とコショウをきかせて煮込んだ果物のコンポートが日々の食事だったそうです。その息子、マクシミリアン一世は「中世最後の騎士」と謳われ、ブルゴーニュ公国の公女と結婚、ハプスブルグ家のゆるぎない基礎を築きます。これによって、当時、繁栄を誇っていたブルゴーニュ宮廷の食卓文化がハプスブルグ家にもたらされることになりました。さらにその孫、カール五世が食べていたものは、牛霜降り肉、イノシシの焼肉、キジやウズラのソテー、ブルゴーニュのソーセージやハム、トリュフにウナギ……。旺盛な食欲は周囲を唖然とさせるほどだったそうですが、その正体はストレス性過食症だとか。ハプスブルグ家を不動の世界帝国に築き上げたカール五世の内面を、垣間見るようです。
それから10代下り、18世紀半ば、欧州列強が勢力拡大のための争いの渦中、ハプスブルグ家を継いだのが女帝マリア・テレジアでした。彼女は戦いを繰り返しながらも、16人の子を次々に出産。並外れた体力・気力の源が、昼夜各2つのコース料理に加え、日に7~8回おやつ替わりに食べていたという「オリオ・スープ」なんだそうです。気になるこのスタミナスープは、何種類もの具を煮込んだ、ごった煮スープ。もともとはスペインの郷土料理でした。
ハプスブルグ家が築き上げたのは、日没なき世界帝国と宮廷料理「ウイーン料理」。「この料理ほど噛むほどに複雑な歴史の味がする料理は珍しい」と著者が語るように、結婚政策や他国との戦争、異教徒との闘いを通して、絡み合い、融合したものがウイーン料理であり、世界の三大料理といわれる中国やフランス、トルコ料理とは大きく異なる点なのです。もし、春にホワイトアスパラガスを見かけたらハプスブルグ一族が世代を超えて好んだ食べ物だと味わい、ウィーンナー・シュニッツエルがメニューに並んでいたら、そっくりなミラノ風カツレツのことを思い出し、デザートには末期の皇妃でありダイエットマニアだったシシーもあがなえなかった、スミレのシャーベットを探してみて下さい。おいしさとともに、膨大な時間の流れを味わえるでしょう。
文・写真/牛島暁美