パリだよりVol.2/「ERH」北村啓太シェフ(後編)「僕と料理との出合い」

 パリの"食"に関する話題を、パリ在住の日本人シェフによるリレー形式でお届けする連載「日本人シェフのてまひまパリだより」。パリ2区にあるミシュラン一つ星店「RESTAURANT ERH」の北村啓太シェフの後編をお届けします。パリ時代の奮闘の日々への思い、そこから見えてきた生涯のテーマとは――。

こんにちは。「RESTAURANT ERH」のシェフ、北村啓太です。前回よりお話しさせて頂いている僕と料理との”出合い”、後編のお話の舞台はここ、パリです。

パスポートだけを手に、いざパリへ

「NARISAWA」(東京•南青山)のスーシェフの職を辞した僕が、本場フランスを知るための滞在地として狙いを定めたのはパリでした。日本人も多いし、何より都会でバチバチとしのぎを削っていくのが性に合っていると思いました。ところが、はやる気持ちとは裏腹に、渡仏準備は難航しました。まずワーキングホリデービザを申請することにしたのですが、当時は希望者が多く、取得には至りませんでした。それなら学生ビザを取得しようと気持ちを切り替えたのですが、思った以上に時間がかかり、途中で諦めざるを得ない状況に。出発日当日の僕はパスポートだけを握りしめ、大きな不安を抱えたまま機上の人となったのです。

1枚の履歴書が切り開いた道

パリに着いて語学学校に通い始めると、「とにかくキッチンで働きたい」という思いにかられました。学校の紹介先のビストロで、なんとか1カ月の研修が決まったものの、フランス語はまだ拙く、とりあえず料理用語だけは分かるレベル。店ではじめに衝撃を受けたのが、厨房内での働き方です。スタッフ同士のコミュニケーションが密で、仕事を楽しみながらやっているところに、「こういう働き方もあるんだな」という発見がありました。見るのも聞くのも新鮮な日々を過ごす中、たまたまこの店に食事にいらした日本人の料理人から声がかかりました。こんな機会もあろうかと、持ち歩いていた履歴書の束の中から1枚を手渡すと、後日、電話がかかってきました。

ガストロノミーの手法が通用しない!?

声の主は人気のビストロ、「オー・ボン・アキュイユ」の佐々木直歩シェフでした。2008年当時、僕は28歳。帰国後、日本でシェフにというオファーもありましたが、35歳までは貪欲に学ぼうと思っていたところ、「人の下で働いた方が深みが変わってくるよ」と、佐々木シェフのひと言。初対面の僕にそんな言葉をくれる人の下で、働いてみたいと思いました。シェフの推薦状のおかげでビザの問題もクリアし、晴れて厨房の一員に。ビストロで働いてみると、今までガストロノミーの世界でやっていたことが通用しません(苦笑)。牛でもジビエでも、高級部位以外も余す事なく使い尽くすことや、それぞれに合った調理法も学びました。充実した日々を過ごしていましたが、次第に仲間たちから「お前はもっと上のレベルへ行け! 最低でも二つ星で働け」などと、けしかけられるようになっていきました。

巨匠ピエール・ガニェールの教え

やがて機会に恵まれ、とうとう三つ星の「ピエール・ガニェール」で働くことになりました。あれだけのグランメゾンでありながら、厨房の料理人はたった12人。他にパティシエ5人、ブーランジェ1人がいました。同時期に日本人数人が働いていて、料理人には僕の他に現「レストランA.T」の田中淳シェフが、またパティシエには3人がいました。当時のガニェールのシェフパティシエは業界では既に名の知れた、現「Arôme」の長江桂子さんでした。
世界中を飛び回っているガニェール・シェフは、まるでアーティストのようでしたね。パリの厨房にいる時は、レシピに忠実に出来ているものにさらっと即興で手を入れたり――。日本ではどこかの店で流行した料理があると、他店でも同じような料理を出すようになったりするけれど、フランスは違う。とにかくオリジナリティがあり、個性が光っているのです。もっと自由に料理していい、発想を柔らかくしていいということは、パリに来てから学びました。

日本人としてのアイデンティティ

現在シェフを務める「ERH」は、日本酒専門店「La maison du Saké」内にあるガストロノミーレストランです。専門店内にあるだけに日本酒のメニューも豊富ですが、実は僕、日本酒に全く興味がありませんでした(笑)。「一流のフランス料理を作るんだ」という想いが強かったため、日仏フュージョン料理のようなものは作りたくなかった。でも日本酒をフランスに広めたいオーナーのユーリンは、ワインリストを更新する際に日本酒も提案してくるのです。料理と日本酒のペアリングの勉強会を重ねるうちに、意識はしていなかったけれど、自分の料理は日本酒の味と合うことに気がつきました。知らず知らずのうちに、日本人としてのアイデンティティが料理に現れているのでしょう。
それから、日本酒の造り手さんを訪問させて頂く機会なども経て、僕の料理も変わってきています。今後も日本色を強くしようとは思っていませんが、フレンチには邪道だと考えていた日本食材を取り入れることに抵抗がなくなりました。料理に新しい気づきを落とし込んで行く作業は、とても楽しい。若い頃は35歳くらいまでは学びの時期と考えていたけれど、結局、生涯を通して学んでいくのでしょうね。

僕のテーマは、旅。僕の料理を通して、お客様に旅をしていただきたいと思って、今日も厨房に立っています。(北村シェフ第一回・終)


左:「RESTAURANT ERH」の外観。右:北村啓太シェフ。

取材/シフォロ光子(パソナ農援隊パリ支店) 構成/伊藤ゆずは 写真提供「Restaurant ERH」https://restaurant-erh.com