「おいしい本、いただきます。」は、食にまつわるさまざまなウンチクや名場面がいっぱいの、眺めておいしい、読んでおいしい本を紹介する連載です。4回目に取り上げるのは、川原泉による漫画『美貌の果実』。
ワインの知識の泉を
浴びながら、最後に
ほろりとさせられる。
『美貌の果実』川原泉 著 白泉社 刊
奈良時代の高僧・行基が甲州で修行中、葡萄を手にした薬師如来の姿を見たことに感動し、この地に葡萄を植えたのが甲州葡萄の始まりだというーー。こうした伝説に始まり、ワインの語源から品種や香りの説明、栽培の手順や収穫後の仕込みのしかたまで、わずか39ページの漫画の中にさまざまな情報がぎっしり詰め込まれています。これを読めば、ワインの基礎知識はバッチリといっていいほどの充実ぶり。
文字量が半端なく多いにもかかわらず、意外とするする読めて、笑いと感動も得られてしまうのが著者の作品のすごいところ。独特の緩いテンポと、のんきで律儀なキャラクターたちが醸し出すユーモアにハマると、何度でも読み返したくなります。
ストーリーは、父と兄を交通事故で亡くし、母と主人公・菜苗だけになってしまった秋月ワイナリーに、行基様の導きで葡萄の精が手伝いに現れるところから始まります。中性的な美青年の姿で描かれるこの精は、ワイナリーを始めた菜苗の曾祖父が最初に植えた葡萄樹であり、かつて行基が植えた伝説の甲州葡萄の末裔であるという設定。「私は単なる葡萄の精」と名乗ったのを「葡萄野 精」という名前だと勘違いされ、「精さん」と呼ばれてすぐ馴染んでしまうのも、微笑ましい展開です。やがてワイナリーには、業務提携を希望する大手酒販メーカーの社長と幼い娘も登場し、精さんの正体がバレた後も、みな仲良くなっていくのですが……。
最後は思わずほろりとさせられますが、登場人物の誰もが愛おしくなり、また最初から読み始めてしまうのです。私事ですが、数年前に庭に植えた葡萄の木にも“精さん”が宿っているかもしれないと思うと、大事にせねばという気持ちが自然に湧いてきます。近年、国際的な評価も著しい甲州ワインですが、この作品が今から30年以上も前の作品だということに、改めて驚かされます。
ちなみに、出版社のサイトによれば、この作品は、「“大切にしたいね、ボクらの第一次産業”をキャッチフレーズに川原教授が提唱する、愛と家畜と作物の感動三部作」のひとつ。後の2作、『愚者の楽園』(熱帯植物農園が舞台)、『大地の貴族』(牧場が舞台)も、のほほんと味わい深い傑作です。短編集である本作に収録されているので、ぜひ膨大な知識と笑いと感動を満喫してみてください。
文・写真/高瀬由紀子