てまひまストーリー VOL.12/丸正酢醸造元(和歌山県)

「てまひまオンライン」に並ぶおいしいものの生産者さんを訪ね、自然と向き合う姿勢や、ものづくりの哲学を訊く「食の匠のてまひまストーリー」。第12回は、名瀑・那智の滝の伏流水を使い、昔ながらの製法でお酢を造り続ける丸正酢醸造元さんを訪ねました。先代たちのお酢への想いを受け継いだ四代目・小坂和子さんが語るお酢と家族の物語を、ぜひ動画でご覧ください。

お酢は両親そのもの。

140年の伝統に、愛を込めて。

 

日本三名瀑の筆頭に挙げられ、ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」にも登録されている那智の滝。落差133メートル、日本一の雄大さを誇るこの滝の恵みを受けて、伝統のお酢づくりを守り続けているのが、創業140年を超える丸正酢醸造元(和歌山県那智勝浦町)です。

醸造所の真ん中には、那智山系から直接引き込まれた伏流水が、絶えず滔々と流れされています。もったいないと思うかもしれませんが、どんどん湧き出してくるため、かえって止めないほうがいいのだそうです。中庭に残る古井戸には、熊野三山の御札とナギ(梛木)の葉がお供えされており、この水がいかに大切にされているかがうかがえます。

四代目である小坂和子さんの案内で、醸造所の奥にある土壁の蔵に足を踏み入れると、ふわりとお酢のいい香りが漂ってきます。熊野杉でつくられた巨大な木桶が、静かに、じっくりと発酵を行っていました。よく見ると、それぞれの桶には「双葉山」「北の湖」「千代の富士」など、歴代の名横綱の名が書かれた紙が……。

実は、初代から続く根っからの相撲好きだという小坂家。和子さんの父である三代目・晴次さんが、木桶を我が子のように大切に扱うという思いから、大好きな力士の名を付けたのだとか。多才だった晴次さんが、自ら相撲文字(番付表などに使われる書体)を学んで書いたそうです。醸造所のあちこちに貼られた「醸造は水が命」「発酵道」「丸正維新」などの言葉も、晴次さんの手によるもの。

何よりも、この木桶を使った製法を続けることを決意したのが、晴次さんでした。戦後、ステンレスやポリタンクなど、メンテナンスが楽でお酢の目減りも少ない容器の使用が広がりました。丸正酢でも試しに使ってみたそうですが、香り・コク・味が、木桶で仕込んだお酢とは明らかに違う。それゆえ晴次さんは、木桶を守ることを誓ったのです。

とはいえ、木桶を使ったお酢造りは容易なことではありません。木桶の扱いもさることながら、蔵と桶に住み着いた菌(酢酸菌)の力だけで発酵を行うため、常に目が離せません。ちなみに、2月に訪れたとき、木桶にこも(菰)が巻かれていたのは、桶の中の温度を一定に保つため。誰よりも木桶を慈しんだ先代の面影が、ここにも見え隠れしているようでした。

お酢を愛し、90歳を過ぎてからも蔵に入って桶を見守っていたという先代・晴次さん。そんな父の姿を見て育ち、蔵を受け継いだ和子さんは、ここで造られるお酢を「両親そのもの」だと語ります。かつて先代が木桶を我が子として育てたように、和子さんは両親への愛情を込めて、これからも伝統のお酢造りを守り続けます。

時代を超えた“てまひま”によって造り出される丸正酢醸造元の「純こめ酢」は、文字どおり「純」なお酢。ツンとした刺激がほとんどなく、スモーキーな香りと米の旨みと、まろやかで優しい酸味が広がります。その豊かな味わいは海外でも高く評価され、多くの国の、さまざまなジャンルのシェフたちに愛用されています。

 

●丸正酢醸造元 https://www.marusho-vinegar.jp/

動画・写真/細沼孝之(kotofilm) 録音/林 健太 文/ドイエツコ